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古代都市社会が発達するためには、ダムは欠かせないものだった。洪水の回避や安定的な食料生産のための灌漑用水源として、ダムの機能は重要な意味をおびていた。
たんに川をせきとめ、水を貯めるというシンプルな発想であるが、現代のように百人力の工事機器がない古代では、ダム工事には多大な時間と、膨大な労働力を要した。世界最古のダムも、労働力を自在に動員できる権力者の力があってこそ生まれたのである。
世界最古のダムは、推定であるが、紀元前2750年頃のカイロの南方にあるヘルワンに作られたエジプト・クフ王朝時代のものである。サド・エル・カファラダム遺跡として残っている。ただしこのダムの目的は、ピラミッド建設用石切場の労働者の飲料水を確保するためのものであった。規模は大きく、堤高11m、長さ106m、底幅84mもあった。これが最古のダムという定説である。
しかしもう一説ある。紀元前2900年代説だ。第一エジプト王朝のメネス王が首都を建設するためにナイル川の流れを変えようと、堤高15mほどのダムを作った。これが最古のダムという定説になりえなかったのは、どうもこれはダムではなく、堤防ではないかといわれているからである。
いずれにしてもダムは、かつては権力者の象徴であり、文化を推進させる原動力だった。エジプトのみならず、世界四大文明といわれる地には、やはり強大な権力者が存在し、ダムが作られ、文明が栄えた事実がある。 |
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世界のダムの歴史をたどったからには、日本のダムの歴史もひもとかないわけにはいかない。
日本最古は現存している。場所は大阪狭山市。狭山池である。そもそも灌漑用のため池として作られた。周囲は2 85kmにおよぶ大きさで、現在は大阪府の史跡名勝に指定されている。
狭山池から発掘された木製樋管(水を流し出すためのもの)を、年輪年代測定法にかけたところ、616年ということが判明した。じつに推古天皇の御世である。
もちろん今でも、農業用水を配水するダム式溜め池として使われている。改修を重ねた現在、280万mの容量を持つにいたっている。この狭山池の改修工事には、奈良時代の僧・行基、平安時代の僧・重源、江戸時代には豊臣秀頼らがたずさわっている。日本の生きたダム史だ。
こうした溜池式ダムは、それ以降も日本各地で作られたが、本格的なダムと呼べるものは、明治になってからである。水道敷設の歴史にともなって誕生した日本最古のコンクリートダムが、明治33年に兵庫県神戸市に建設された。五本松(布引)ダムだ。英国人ウィリアム・バルトンの指導のもと、技師の佐野藤次郎が設計をした。
五本松ダムは阪神・淡路大震災にも耐え、神戸の貴重な水源として、いまも活躍している。平成10年には、すぐれた土木遺産として、文化庁から登録有形文化財の指定を受けた名ダムである。 |
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