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vol.5 知られざる水の道 home
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Part.1 水栓からほとばしる「近代水道誕生秘話」
 
横浜 大桟橋
横浜港につき出た大桟橋は、水道と同じくH.S.パーマーの設計で鉄製、1894年完成。
 
  7万人を対象に日量約5,700 を送水。1887(明治20)年横浜に完成した日本初の近代水道には、河川水を砂を使って濾過し、圧力をかけ、鋳鉄管によって運ぶというヨーロッパでもほんの30年ほど前に確立したばかりの最新技術が採用されています。日本ではまだ知られざる水道の技術、それを運んできたのは外国人技術者の大いなる情熱でした。
 
導水管     設計者は英国工兵中佐H.S.パーマー。彼は報告書で、水は十分な圧力を持たせることによって給水ばかりでなく、消防にも大きな効果があることを強調しました。

  実際、水道完成当時の新聞には噴水器という表現が多く見られます。「水は井戸で汲み上げるものにあらず、噴水するものなり」と人々を驚かせたのでした。

 パーマーは、日本の特殊事情も考慮に入れながら次のような指摘も行っています。「導水管については、傾斜度や水圧などの問題もあるが、それよりも重要な地震対策を配慮すれば陶管の使用は勧告できない。その効用や保存および経済面から、鋳鉄管の右に出るものはない。水管は保護のため0.6m以上土中に埋設する必要があるが、布設後十分な検査を行い、漏水のないことを確認後埋め込むこと。また、布設管の高所には排気管の挿入、あるいは管内の水を必要により排水できるよう排水口を設けることが重要である」。

  内務省からもオランダ人御雇工師H.L.ムルドルが派遣され実地調査を行います。彼もパーマーと同じく、鋳鉄管の使用を推薦。特にその製造方法について「立(垂直)に鋳たものでなければならない。横(水平)に鋳たものを使ってはならない。横にして鋳たものはどうしても管の厚さなどに偏りが出るため」としています。

 ちなみに、この立型鋳造法が日本で実用化されたのは明治33年、久保田権四郎(クボタ創始者)の手によってです。

 
水道鉄管布設線路其十七
 
水道鉄管布設線路其一
 
用水取入所汽鑑 用水取入所揚水機械
獅子頭共用栓
 

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