設計者は英国工兵中佐H.S.パーマー。彼は報告書で、水は十分な圧力を持たせることによって給水ばかりでなく、消防にも大きな効果があることを強調しました。
実際、水道完成当時の新聞には噴水器という表現が多く見られます。「水は井戸で汲み上げるものにあらず、噴水するものなり」と人々を驚かせたのでした。
パーマーは、日本の特殊事情も考慮に入れながら次のような指摘も行っています。「導水管については、傾斜度や水圧などの問題もあるが、それよりも重要な地震対策を配慮すれば陶管の使用は勧告できない。その効用や保存および経済面から、鋳鉄管の右に出るものはない。水管は保護のため0.6m以上土中に埋設する必要があるが、布設後十分な検査を行い、漏水のないことを確認後埋め込むこと。また、布設管の高所には排気管の挿入、あるいは管内の水を必要により排水できるよう排水口を設けることが重要である」。
内務省からもオランダ人御雇工師H.L.ムルドルが派遣され実地調査を行います。彼もパーマーと同じく、鋳鉄管の使用を推薦。特にその製造方法について「立(垂直)に鋳たものでなければならない。横(水平)に鋳たものを使ってはならない。横にして鋳たものはどうしても管の厚さなどに偏りが出るため」としています。
ちなみに、この立型鋳造法が日本で実用化されたのは明治33年、久保田権四郎(クボタ創始者)の手によってです。
|