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東京の給水史にその名を残す 駒沢給水所へ行く。

役割を変えて活躍する配水塔

渋谷町水道の管轄下にあった駒沢給水所は、昭和7年に東京市水道局に移管された。それ以後は、より広域に配水をするため構内にポンプ所が設置された。この巨大な配水ポンプは1956年製で、平成11年まで稼働していた。本来めったに公開しないものだそうで、今回特別に撮影させてもらった

 駒沢給水所の配水塔の洋風建築を思わせるデザインは、建造された大正時代当時はかなり斬新だったにちがいない。この配水塔をデザインしたのが近代水道の父と呼ばれている中島鋭治博士だ。中島は欧州の建築を参考にこのデザインを生み出した。現在は〈日本の近代土木遺産〉〈近代水道百選〉〈世田谷百景〉などに選出されている。
 平成11年、駒沢給水所は配水施設としての役目を終えた。2基の配水塔は遺構として休眠しているかと思いきや、実は今なお現役で活躍中である。
「通常は無人管理で立ち入り禁止区域になっていますが、現在は災害時に飲料水を市民に供給するための応急施設として使用されています。施設内に埋設された配水池と2基の配水塔に、常時3200m3の水を貯留しています」  また水質を維持するために、約3日間で順次一定量の水の入れ替えも行っている。

水道施設を完成させた当時の人々の誇りと魂が駒沢給水所構内のあちこちから感じられる

昭和2年に構内に建立された水道施設記念碑。銅板には給水所敷設までの経緯が記されている。獅子頭の注水口を持つ洋式方円池も同時に作られた
構内に転がっていた明治期の馬水槽。馬の水飲み用水槽だ。新宿アルタ前広場にもあるのをご存じだろうか 駒沢給水所が配水施設として稼働した平成11年まで使われていた監視盤。今は通電されずに静かに休んでいる 昭和8年に構内に敷設されたポンプ所。蔦が建物を覆っているのはデザインではなく、自然の繁茂である
取材協力・資料提供/東京都水道局

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