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隅田川神社

源氏の総大将の伝説を今に伝える

主祭神は速秋津日子神(はやあきつひこのかみ)、速秋津比賣神(はやあきつひめのかみ)など四神。拝殿は創建当時のままである

水神を巡る旅。初めに訪れたのは東京下町の隅田川神社だ。意外にも拝殿の背後には、巨大な首都高速道路が覆いかぶさるように延びている。しかし押し寄せる近代化の波の中にあっても、隅田川神社は凛とした佇まいでその姿形を残している。ここだけは、厳粛で緊張感に満ちた空気が支配している。
隅田川神社は「水神」または「水神宮」と称されていた。近くを流れる隅田川の総鎮守として位置づけられ、水上安全の守護神として崇敬を集めてきた。神社がある場所は小高い浮洲だったこともあり、度重なる増水にも水没することがなかった。そのため古くは「浮島の宮」とも呼ばれていた。現在の社名には1872年に改称された。
御鎮座の年代は定かではないが、一説には源頼朝が平家打倒のため関東へ挙兵した際に暴風雨に遭い、止雨を祈願するため頼朝が立ち寄ったと伝えられている。現在は隅田川花火大会の安全祈願や、水関係の仕事に就く多くの人々に日々参拝されている。

旅人は渡辺パイプの中嶋友美。水神の伝統や文化を探究したい一心で、東西の水神社を訪れた

水神社だけあって、狛犬ならぬ石造りの「狛亀」が拝殿前に鎮座している。よく見ると顔に耳があるのが面白い

拝殿にからみつくような精緻な龍の彫刻が印象的だ。躍動感と生命力に満ちあふれた、まさに水神の象徴

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隅田川花火大会は毎年7月の最終土曜日に
行われる。東京三大花火大会のひとつである。

隅田川花火大会の起源

東京の夏の風物詩、隅田川花火大会。そのルーツは水神信仰と関わりが深い。1732(享保18)年に発生した大飢饉と疫病による死者への慰霊と、悪病を鎮めるために当時の幕府は翌年に水神祭を行った。この時に、両国橋周辺で20発の花火を上げたのが始まりなのである。そもそも享楽的なものではなく、神事としての深い意味があったのだ。

■ 所在地:東京都墨田区堤通2-17-1

亀戸水神宮

御祭神は日本を代表する水神、罔象女神(みづはのめのかみ)。
灌漑用水の神、祈雨止雨の神とされる。

地元民に守られている神社

東京の亀戸水神駅の近くの住宅地に、ひっそりと社を構える亀戸水神宮。この水神宮も歴史は古く、おそらく室町幕府、足利義晴が将軍だった時代(1521〜1546)に創建されたと謂われている。当時の土民が新田開墾を行う際、水害から免れるため、水神を勧請(かんじょう)して祈願した。その勧請した先というのが、大和国吉野(現・奈良県)にあった丹生川上神社なのである。

■ 所在地:東京都江東区亀戸4-11

丹生川上神社

拝殿脇には地下水脈を水源とする「丹生の真名井」がある。罔象女神まします御神水とされている

歴史に彩られた神域

亀戸水神宮のルーツを辿り、旅は一路西へ。水の神、罔象女神(みづはのめのかみ)を主祭神とする丹生川上神社は、高見川に抱かれた深山幽谷の地に、気高い趣を有する社を横たえている。その起源は、初代天皇である神武天皇の戦勝祈願をした地とされる。天武天皇の御代の675年には「(前略)天下ノタメニ甘雨ヲ降ラシ、霖雨(長雨)ヲ止メン」との神託により社殿が創建された。また1081年頃に定められた二十二社にも選ばれている。二十二社とは国家を左右する天変地異に際し、天皇から奉幣(ほうへい)を受ける特別な社格を持つ神社。記録によれば、室町時代の土御門天皇までの約550年間に、96回の奉幣がなされた。祈雨する時には黒馬を、止雨には白馬が奉献されてきた。これは丹生川上神社だけでなく、祈止雨の慣習として伝えられている。

4本の稚児柱で本体の鳥居を支え、笠木の上に屋根がつく両部鳥居。奥に見えるのが拝殿

1828年から12年間にわたって造営された本殿(奥)並びに東殿(右)。東殿の前にある石灯籠は重要文化財

高見川を挟んだ反対岸にある摂社丹生神社。ここは丹生川上神社の旧社地であることから本宮と呼ばれる

毎年6月に行われる水神祭で披露される蟻通(ありどおし)神楽

■ 所在地:奈良県吉野郡東吉野村小968

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