こちらのサイトでは水に関わるエピソードをお伝えしています。

バックナンバーへ

page5

「水」の賢者たち

 

1日8500トンもの水が、今もこんこんと湧き出ている三分一湧水

水利権争いは、現在も世界各地で戦争の火種になっている。戦国時代、甲斐(山梨県)の山麓にある3つの農村でも、湧水の水利権をめぐる争いがあった。農作物を作る農村にとって、水の確保は死活問題。自分の村により多くの水を! となるのは明白である。そんな農村の争いを収めるべく立ち上がったのが、一説によればあの武田信玄だというのだ。そのアイデアが素晴らしい。一度分水マスに湧水を引き入れ、マスの中に三角柱を立てることで水の流れを調整し、下流の3つの農村へ平等に水が流れるようにしたのである。もしこれが円柱や四角柱だったら、均等に水が流れないというから驚きだ。この見事な武田裁きにより争いは終息したそうだ。後年、学術的にこの着想は非常に評価されている。現在も山梨県北杜市に「三分一湧水」の遺構があり、訪れることができる。

 

木樋の材質は丈夫で腐りにくい松や桧。それをくり抜き繋ぎ合わせていた

小石川上水、玉川上水と上水道の整備が行われた江戸の町。注目すべきはその水道管だ。木樋(もくひ)という角型木製水道管が主に使われていた。 中にはイラストのように一度下に流れて、再び上に流れるような水道管も作られた。これはサイフォンの原理とは逆の「逆サイフォンの原理」を用いた水道管。 サイフォンの原理とは水の引っ張り力を利用し、低きから高きへ水を流す原理。逆サイフォンは低きに一度水を引き込み、高い側へ噴き出させる仕組みだ。 この現象を起こすには、水道管内が真空に近い状態でなければならない。それだけ精度の高い水道管を、江戸時代の職人は木で作っていた。まさに匠の技である。

 

繊細な味わい、華やかな吟醸香を放つ「五橋」。美酒と呼ぶにふさわしい

挑戦者だけが歴史を塗り替える。昭和初期、山口県の酒井酒造が、日本酒の常識を覆す名品を造り出した。 銘柄名は「五橋」。この日本酒は、当時硬水で仕込まれることが主流だった酒造りにおいて、あえて超軟水で仕込んだ1本だった。 仕込み水に使われたのが、山口県最大の川である錦川の水。錦川の水の硬度はわずか1.5。酒造研究家の大家、故・穂積忠彦氏に超軟水と言わしめたほどの軟水だ。 その五橋は昭和22年の全国新酒鑑評会で、軟水仕込みでは史上初の1位に輝いたのである。そのキメ細やかで滑らかな酒質は、超軟水あってのものだ。 その後、天皇陛下の献上品にも選ばれ、今も名酒として高い評価を得ている。

(C)Copyright 2009 WATANABE PIPE, INC. All rights reserved.