1日8500トンもの水が、今もこんこんと湧き出ている三分一湧水
水利権争いは、現在も世界各地で戦争の火種になっている。戦国時代、甲斐(山梨県)の山麓にある3つの農村でも、湧水の水利権をめぐる争いがあった。農作物を作る農村にとって、水の確保は死活問題。自分の村により多くの水を! となるのは明白である。そんな農村の争いを収めるべく立ち上がったのが、一説によればあの武田信玄だというのだ。そのアイデアが素晴らしい。一度分水マスに湧水を引き入れ、マスの中に三角柱を立てることで水の流れを調整し、下流の3つの農村へ平等に水が流れるようにしたのである。もしこれが円柱や四角柱だったら、均等に水が流れないというから驚きだ。この見事な武田裁きにより争いは終息したそうだ。後年、学術的にこの着想は非常に評価されている。現在も山梨県北杜市に「三分一湧水」の遺構があり、訪れることができる。