

琵琶湖疏水記念館の地階には、疏水分線扇ダムからの分水路の水が流れてくるトンネルがある。ここに北垣国道が遺した「楽百年之夢」の落款を100年後の京都市長が揮毫した扁額が掲げられている。
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琵琶湖疏水記念館
館長 井垣成量 |
京都がかつて、水不足にあえいでいたとは、今からは想像できないかもしれません。むしろ水の流れる古都といった印象を、多くの人はきっとお持ちでしょう。しかし、10日も日照りが続けば、井戸水の涸渇に苦しんでいました。
琵琶湖の水がなかったら、今日の京都はなかった。それはまちがいありません。市民が使用している水の実に96%が、琵琶湖疏水でまかなわれています。そのおかげで、京都市の水道が不足したことは一度もありません。
北垣国道、田邉朔郎の2人には、京都市民はただただ頭が下がります。重機などない明治期に、あれだけの大工事をやり遂げたのですから。琵琶湖疏水工事のケタ外れな規模は、数字が如実に物語っています。
当時の金額で125万円かかりました。現在の金額に換算すると1兆円近いとも言われています。ダイナマイトやコンクリートは輸入品に頼りましが、レンガ1400万枚や石材は直営工場で生産しました。
工事動員人数、のべ400〜600万人。囚人も狩り出しています。あまりに工事が過酷なため、いっとき京都の犯罪が減ったほどだそうです。

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大津付近にある琵琶湖疏水、第1疏水第1トンネル取水口付近 |
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