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vol.12 京都を蘇らせた琵琶湖疏水 HOME
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苦難を乗り越えて【難工事】未曾有の大規模土木工事



第1疏水、第1トンネルの第1竪坑は、いまなお遺構として残っている。


トンネルを縦にも掘った
琵琶湖疏水は、3本の水路からなる。琵琶湖の取水口から鴨川合流までの全長20kmの運河「第1疏水」。  
第1疏水とほぼ平行するように流れ、蹴上付近で第1疏水と合流する全長7.4kmの全線トンネルの水路「第2疏水」。第1疏水でまかないきれない水道と電力確保のために作られた水路である。
蹴上付近から分岐し、北白川に至る全長8.4km(現在は3.3km)の枝線水路が「疏水分線」である。灌漑、防火水路を主目的に作られたものだ。  
もっとも難航したのが、第1疏水の第1トンネルである。第1トンネルとは、全長2436m、長等山をブチ抜くトンネルである。第1疏水の全工期は4年8ヶ月だったなかで、第1トンネルだけに4年4ヶ月を費やしている。当時としては、日本最長のトンネルで、多くの人がその成功を疑った。  
工法が新しかった。山の両側から掘り進めていくだけでなく、途中に竪坑(垂直に掘り下げた坑道)を掘り、その穴の中からさらに両側に向かって、掘り進める工法を採用した。工期短縮をはかるための、日本初の竪坑方式だった。
竪坑を掘る途中でも、難局に直面している。竪坑を47m掘らねばならないところを、20m掘った段階で1分間に180リットル吹き出す湧水にぶつかった。工事は中止を余儀なくされた。水を吸い出すポンプも故障した。結局ロンドンに発注していた大型ポンプの到着を待って、ようやく対処できた。
大津付近では落盤事故もあった。65名の作業員が生き埋めになった。幸い、47時間後に全員無事に脱出した。もしここで多くの命を失っていたら、工事そのものに影響していたであろうといわれている。
しかし竪抗では、5名の技師が落下して命を落としている。文字通り命がけの大工事だった。

琵琶湖疏水年表
明治14年(1881)
北垣国道が京都府知事に着任
明治16年(1883)
田邉朔郎が琵琶湖疏水
工事主任に着任
明治18年(1885)
琵琶湖疏水・第1疏水着工
明治20年(1887)
琵琶湖疏水・疏水分線着工
明治23年(1890)
琵琶湖疏水・第1疏水竣工、疏水分線竣工
明治24年(1891)
蹴上発電所完成
明治28年(1895)
京都電気鉄道伏見線開業
明治41年(1908)
琵琶湖疏水・第2疏水着工
明治45年(1912)
琵琶湖疏水・第2疏水竣工、

第1疏水の工事風景。初めてづくしの土木工事は難航を極めた。
 
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