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vol.11 節水の心
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世界中のそれぞれに水とのつきあい方がある ハムラビ、ダムに破れる
 「目には目を、歯には歯を」で有名なハムラビ法典を遺したバビロン王朝の初代国王ハムラビは、ダムの重要さをとくとくと説いた人物。これはあまり知られていない一面だ。
 ダムにまつわる最古の条項ともいえる一文が、あのハムラビ法典に記されているのだ。
 ハムラビ法典第五十三条にこんなフレーズがある。「ダム保守を怠けてダム決壊の要因をなした者は、その身は売られて、その代金で収穫を弁償させる」と。さらりと書いている内容は、なかなかすさまじい。だって売られてしまうのだから。
 それほどまでに、豊かな国造りの基盤には、ダムの保守が重要だと見極めていた。水を治めれば、国が治まるというのである。実際、文明が発展した地域にはダム造りを成功させている歴史的事実がいくつもある。四大文明しかり。
 ハムラビの興したバビロンは、あのメソポタミア地方である。そう、あのチグリス・ユーフラテス川のだ。この地は、チグリス川とユーフラテス川の2つの川に挟まれた地域で、しばしばトルコの山脈から押し寄せる雪解け水で洪水を繰り返してきた場所だった。そのため、ダム造り、つまり治水技術は国家繁栄のためには欠かせないものだったのだ。バビロンには、いくつものダムが作られてきた。
 このハムラビも、紀元前689年に、アッシリアの国王センナチェリブによって、滅亡に追い込まれている。そのときハムラビの足下をすくったのが、ほかでもない「ダム」なのだ。センナチェリブは、ユーフラテス川の流れを土砂でせき止め、簡易のダムを造り、水が貯まったところで一気にダムを決壊させ洪水を起こさせたのである。これによってバビロンの町は壊滅に追い込まれた。
 ダムを守ってきたハムラビは、ダムに打ちのめされた。このときばかりは、目には目を、とはいかなかったようだ。

水を点滴する農法
 イスラエルは点滴の名人だ。といっても、病人が打つあの点滴ではない。点滴の原理を利用した農法である。点滴灌漑法という。水資源の乏しく、強烈に乾燥したイスラエルだからこそ開発できた画期的な方法だ。
 専用のチューブに水を流し、コンピューター制御により、チューブから水が1滴1滴あふれ出すようにし、農作物に水を与える。
 乾いた大地に水を撒くと、っというまに水は乾いてしまい、ほとんどの水が意味なく失われる。ゆっくり少しずつ作物に水を与えることで、水を余すことなく作物に吸わせるアイデアだ。作物の根元だけに、水が滴下するようになっているので、少しの無駄もない。
 作物も水を一生懸命とりこもうと根をより発達させ、力強い株になっていくという利点もある。また水をバシャーっと盛大に与えると、肥料が水といっしょに土中深くにしみ込んでしまうが、点滴式なら肥料の無駄もない。
 この農法は、もともと水を入れた素焼きの瓶を土中に埋めて行っていたのが原型である。素焼きの瓶から、ごくゆっくりと水がしみ出し、瓶のそばに植えた作物に少しずつ水を与えて育てるというものだった。この究極の節水農法、水が豊かな国々でも真似てみるべきではないだろうか。
 スイスといえば時計王国である。スイスのライン川沿いに位置する都市バーゼルでは、毎年世界的な時計市が開催され、期間中は10万人近い人々が世界中から押し寄せる。
 そのバーゼルでは、独特の方法で飲料水確保につとめている。ライン川から取水した水を人工的に殺菌消毒するのではなく、森林部に一度流し、地下に浸透させているのである。これを「地下水涵養(ちかすいかんよう)」という。涵養という言葉のそもそもの意味は、ゆっくり養い育てることだ。この場合でいえば、地下水をゆっくりと増やす意味になる。
 自然の地層をじわじわ通りながら地下に貯まる水は、ろ過されるばかりか、土中の天然ミネラルを豊富に含んだ水になる。バーゼルの水道資源のほとんどは、天然水ともいえるこの地下水なのである。
 スイスで地下水を利用するのはバーゼルだけでなく、スイス全体の水道資源の地下水依存率は83%にものぼっている。そのため、地下水の汚染が進行しないように、スイスでは家畜の放牧頭数がきちんと義務づけられている。
 1ヘクタールあたり、乳牛なら2頭、肉牛なら4頭までである。これは家畜が排泄する糞尿汚染を考慮してのことだ。
 ちなみに日本の主要水源は河川で、地下水依存率は25%前後。しかもその地下水は最近ますます汚染傾向だ。残念というほかない。
 
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